March 02, 2013

メルボルン、シドニーのお土産

本日の更新 : 針鼠活字


 四泊七日でメルボルン、シドニーに行ってきた(メルボルン三泊・シドニー一泊)。
 今回、その全貌を書けば膨大になりすぎて終わらせる自信がない。そこで、買ってきたお土産の紹介をしお茶をにごすとしましょう。


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メルボルンのマーケットで買った用途はよく解らないが、カンバン。「私の夫はもっと広い自分のスペースを要求したが私は彼を外に締め出した」ってな意味が書かれてる。

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アボリジニ風ボトルホルダー。同じ市場で購入。弓なりになっててゆらゆら揺れます。ワインは別売り。

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おなじく「クイーン・ビクトリア・マーケット」で見つけたTシャツ。「このシャツを着ている私は警官です。あなたの背後をベッタリ張っています」てな意味か。

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メルボルン中心地から電車で1時間半ほど行ったベルグレイブを出発点とするパッフィンビリー鉄道のミニチュア。この蒸気機関車は「機関車トーマス」のモデルとも噂される、走ってる最中窓に「箱乗り」して足を外へぶらぶらさせながら乗ることのできる愉快な列車である。

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メルボルンの中心街「シティ」を歩いてる際に見つけたTシャツ。

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シドニー ハイドパーク近くの店で奮発して買った「UGG」のシューズ。一応「公式」店となっているが・・

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シドニー ロックス地区。週末だったので路上にマーケットのテントが並んでいた。そこで求めたコアラ像。オーストラリアにも「見ざる聞かざる言わざる」ってあんのか。

・・とまあこんな感じですがメルボルン、ほんとに良かった! 近年オーストラリアは人気がなくなってきてメルボルンは日本からの直行便もなくなっちゃてる状態ですが、オススメです! ケアンズやゴールドコーストなんてガキの行くところです(抱っこコアラってクスリで半分眠らされてるらしいぜ)。四十過ぎたらメルボルン! 落ち着いた街の散策を愉しみましょう。ペンギンパレードもあるでよ。

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June 26, 2012

上海2012・ ・SUNDAY/①

本日の更新 : 針鼠銀幕

Img_0688 さて、愉快な上海「出張」も最終日である。
 本日はショッピング、それも「ブランド物」を買いあさりにいく予定となっている。はて、こいつらそんな給料もらってないはずだけど・・ Yクンの「交渉術」はかなりのものらしく(何を「交渉」するのかはよく判らんが)、それは見ものだとも思っていたのだが、朝食後しばし熟慮の末ワタシはひとり別行動をとることにした。
 もともとブランド物には興味ない上、「地球の歩き方」(またもや)を読んでたら、いま上海では現代アートがブームでギャラリーもいっぱいあるという記事にぶつかってしまったのだ。「コレハチョットミテオキタイ・・」せっかく遥けき地までやって来ているのだから、後悔を残さず帰りたいではないか。

 と、宣言すると後輩どもは要介護老人に対するごとく心配をはじめた。一人で地下鉄に乗れるのか、目的地までたどり着けるのか、妙な輩にひっかからないか・・ あげく、この地でも使える携帯電話を貸してくれる始末。
 ワタシだって不安でないこともない。なんせ今回の旅は「ひとまかせ」でずっときたし、上海の地理もよくアタマに入っとらん。でもまあ目指す美術館はホテルの最寄り駅と同じ路線にあるし、大丈夫でしょー。かえって心配かけてわるいネ諸君、ということで我々は別れたのであった。

Img_0659 で、やってきたのがここ「紅坊国際文化芸術園区」。なかを廻ってるうちになんとなく判ってきたのだが、「もうちょっとで芽が出る若手」の作品をたくさん展示してるギャラリーだ。だからか入園は基本無料。が、そこにあるのは予想を裏切るぶっ飛んだアートばかりであった。

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こんなのとか。

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こんなのとか。

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こんなのとか。

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こんなのとか。

ちょっとヒネッて、
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こんなのとか。

 もちろん立体作品ばかりでなく、画や書もあり皆なかなかに見ごたえがあった。ただモノスゴイだけでなく、上に挙げた壁一面に貼り付けたおじさんの写真など、「見せ方」に工夫があり、園内のレイアウトも凝っていた。つまりセンスが抜群によいわけで、これは経済だけじゃなくアート方面もいよいよニッポン、中国の軍門に下るか、と何故だかワタシが焦るのだった。

Img_0681 と、偶然ぶつかった「日本人若手特集」。コレには思わずわざわざ金払って入っちゃいました。ウンウン、がんばってる日本のヤングもいるじゃないか。おじさん、希望をもてたヨ。

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このヒトはどこにでも出没するね。

お土産(むろん自分への)をちょっと紹介。
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園内にあるショップで求めた写真集。

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「工場萌え」にはたまらんね。

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こーゆーモノに、ワタシ弱いのです。上海で買う意味あるか、と言われればそれまでだが。

Img_0692 ということでこのギャラリー、とっても堪能しました。「一人行動」は不安ではあったが来てよかったのであった。
 ホテルのロビーで皆と合流。なにやらたくさん戦利品を抱えておる。その足でなつかしい(となぜか感じた)豫園商城に行き上海での最後のメシを食う。いわゆるフードコートにいったのだがハワイのそれより何倍も美味いのであった。
 出発までの時間がすこしあったので散開して街を歩く。すると交差点で信号待ちしてるとき(というか上海に「信号待ち」という概念は存在しない。ただ道を渡れるタイミングを計っていたのだ)、現地の、と思しき青年がたどたどしい日本語で語りかけてきた。手にカメラを持ち写真を撮ってくれないかと言う。きたな、と思った。カメラを構えてるうちに他の仲間がポケットなどからモノをする、という手だ。実はさきほど豫園商城を歩いているとき「No Japanese!」が通じなかった。「ナニ言ってるかニポン人」と返されてしまった。悔しいので「メチャメチャ語」というのを発見した。気分としては「中国内陸部に住む民族の話すコトバ」だ。「#$☆%㊥£!」という具合にその写真撮影を要求する青年にも言ってやった。彼はあきらめたようにその場を去った。作戦は成功したのである。

Img_0698 薄日がさしてきた。上海ではじめて見る太陽な気がする。最後の日に晴れるとはね。まったく雨と寒さにたたられた三日間であった。でもものすごい面白かったなあ。そのときワタシは外白渡橋のことを思い出したのだった。このイギリス人がつくった橋は長い修復期間を経て2009年にまた渡れるようになっていた。大友克洋が描いた橋。けれどどう考えても見にいっている時間はなかった。まあいいさ、これで「また上海に来なくちゃ」とモチベーションができた。

 ここに書いたこと、特に歴史にまつわるような部分は(いつものごとく)すべて後付けだ。実際の現場でそーゆー感慨を抱いたのではなく、こうして文章を書きながらいろんな資料を読んでるわけだ。それにしても南京条約→上海租借という大雑把な流れを見ると、2009年末に行った香港→今回の上海というのは、まったくの偶然だが歴史に沿っていて理解のたすけになっている。旅というのは、やはりいいのだ。

Img_0707 帰りのバスから見たYクン。世話になったな! でもって本当に面白かったぜ、上海。


(おしまい)

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June 03, 2012

上海2012・ ・SATURDAY/③

本日の更新 : 針鼠銀幕


Img_0640 Yクンの部屋で日本のお笑い芸人の番組を見るなどしてしばし時間をつぶした後、「上海の大衆が行くファミレスみたいなモン」へ移動、シャコを食ったりする。寒かったので紹興酒をホットにして出してくれるよう頼んだが、店側がなかなか理解できないのかテーブルにくるまで時間がかかった。ニッポンでは暖かくした紹興酒にザラメみたいな砂糖を入れて呑んだりするが(ワタシは嫌いだが)、アレは我が国独自のモンだったのか。
 
 で、いよいよ上海雑技を見にゆく段となった。これまでワタシは中国国家が公認した「上海雑技団」という組織がひとつあり、みなそれを見に行ってるのだとばかり思い込んでいた。イヤまったくの勘違い。いくつもの「団」がありそれぞれ個性を有しておって観客は好みの舞台を選ぶことができるのだ。
 この日われわれが訪れたのは「上海馬戯城」。独特なデザインの劇場を有する。

Img_0649 演技中の撮影は禁じられているため開演前の客席を撮る。ぎっちり満員である。われわれの席は正面の見安い場所。このチケットもYクンが手配してくれた。Yクンありがとう!

 演技は・・ 素晴らしかった! 冒頭の、少女たちによる自転車曲乗りで早くもひき込まれた。こういう出し物で意外に大事なのは演目と演目の「間」をどうもたすかだが、映像をつかったりして飽きさせない。「地球の歩き方」によると「外国人プロデューサーを迎え質の高い演目」とある。なるほど、空中ブランコ、バイクの球内走行(何台も入るんだコレが)等激しいショーにもどこか品を感じさせ、全体にエッジの利いた演出が施されている。おおくの血が混じればこその、レベルの底上げなのだ。
Img_0651 ブレブレではありますが載せさせてください。エンディングの演者みんなのあいさつ(まんなかにあるのが中をバイクが走った球)。感動のあまりちょっぴり泣いちゃったゼ。イヤよかった。謝謝!

 お次は今回のツアーにくっついてるオプショナルの「フットマッサージ+ヘッド&ショルダーマッサージ(90分)」である。Yクンに(彼とはここでお別れ)タクシーのドライバーへ行き先の指示をしてもらったのだが、「ここら辺だ」と降ろされた場所から店までが判んない。人通りのないうら寂しい路地を男四人でうろうろする。こういうときの常だが、何度も前を通りすぎてるビルの2階にそれはあった。
 マッサージしてくれるのはすべて女性で、各々個室に通される。なにやらニッポンのフーゾクにありがちな一室のようで、一瞬妙な妄想がアタマをよぎる。マッサージは至極丁寧なものであった。ワタシに付いてくれた女性は(他の方も同様と推察するが)終始含羞を湛えた笑顔で、どこか一歩引いてる印象。上海の「オレがオレが」的な言動をずっとまのあたりにしてきた当方としては不思議な感じを受ける。それでいてフットマッサージ等は熱心なもので、ローションを使い足のすみからすみ、指の間までも揉みしだいてくれる。くつろいだ様子を装いつつも心中(ああ、オレの汗と脂にまみれた足を・・ そこまで・・!)と、羞恥のあまり逃げだしたいほどであった(他の奴らも同じ感想を口にしておった)。
 
 長い一日の終わりのマッサージ。このまま眠れたら、と願ったが、もちろんホテルに戻らねばならない。われわれは「安全」といわれる「オリンピックタクシー」を見つけて宿にむかったのであった。

さて前回のクイズの回答発表! である。
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そう! お皿のほうには「森ビル」が描かれてないんですねぇ。同じ下絵であることは確かだが、時代の変遷とともに書き足していったのですね。変化の著しい都市、上海をあらわす格好の土産でしょう(自分への、ですが)。

では。

(つづく)


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May 31, 2012

上海2012・ ・SATURDAY/②

Img_0635 川を渡って(もぐって)中心街にひきかえし、お買い物の時間である。このとき森ビルでひろったタクシーの運ちゃんが何ンか怒りまくっている。理由がまったくわからないのだが(われわれのせいではないらしい)、あんまりしつこいので笑けてくる。
 一体に上海の街は騒々しい。象徴的なのはクルマのクラクションで、あちこちで終始鳴りっぱなしという感じ。ニッポン人はクラクションをめったに鳴らさないかわりに一たびやられるとそこに「悪意」「敵意」を感じるが、上海人の場合はおそらく「あいさつ」程度のものなのだ。同様にこの運ちゃんの怒声も実は冗談かなんかを言っているのやも。というのも、大声をあげてると思ったらふいに笑いだしたりするからだ。ちなみにこーゆー人たちはべたべたの「上海語」で喋るため、ビジネス用語の北京語を使うYクンにはサッパリらしい。

 とかなんとかやってるうちに到着しました「田子坊」。ここはいわゆる「お土産屋さん街」だ。けど豫園商城とはまったくちがって、古い倉庫なんかを改修し雑貨等を売る店をいっぱい建てたトコ。こういった場所をよく「ソーホー」なんて称しますな。オシャレなんである。「No Japanese!」は要らない。
 さてわれわれは散開行動をとることにした。物欲への嗜好は多様であるからして、五人まとめてぞろぞろ歩いてても効率悪い。今回「ヒトまかせ旅」を堪能してるワタシもこんなときだけは率先してひとりとなり、路地の細い、複雑きわまる田子坊の街へ入っていった。
 面白い面白い。かわいくて、それでいてどこかすっとぼけた小物がいっぱいある。う~ん、再集合の時間、もうちょっと長めにとるべきだったか。
Img_0838 購入したものの一部。ワタシのお土産の買い方は、(誰々さんには・・)とか「買っていくべき」ヒトの顔を思いうかべながら選ぶ、というのではなく、面白い! と思ったものをとにかく購入しておき、あとで配分を考える、というものだ。ここに写ってないがなにやらヘビのごとき得体の知れぬ雑貨ももとめたのだが、それはカイシャの人間にあげた(150元だったが、そう告げるとYクンにそれは完全にボッタクられましたと言われた。みなさん、田子坊では値引き交渉が利きます。おぼえておきましょう)。

Img_0839 すこし時間ができたのでYクンの住んでるところを見に行こうということになった。そのそばの店でワタシの買ったもの。
 面白いと思ったのはこういう「プロパガンダ・アート」を扱う店がけっこうあることだ。文化大革命を「おちょくっている」ととれなくもないモチーフを施した品々がそこらじゅうにある。大丈夫なのか? しかもそんな店がたいてい小洒落ているのだ。ここらへんの感覚はよくわからん。同店には「毛語録」の(おそらく)本物があった。とても手の出ない値付であったが。
 さてこの写真のTシャツとお皿、なかのイラストが同じようであるが実は異なる! それはどこでしょうというのを次回までのクイズとしよう。
 
 Yクンは瀟洒なマンションに住んでおった。ここら辺はYクン自身承知しておらぬようであったが昔の「フランス租界」の一部なのである。列強が上海の租界化をすすめる内、英米を中心とする「共同租界」とフランス租界に分かれた。フランス租界はパリのような景観をもとめて街づくりをしたからそれ風のたたずまいがいまも残る。それを求めて小奇麗なショップが進出し、それなりのマンションも建つ。Yくんが「このへんは白人とかがけっこう歩いてるんですよ」というのもそれなりの理由があるのである。

(つづく)

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May 30, 2012

上海2012・ ・SATURDAY/①

Img_0610 われわれ(というのは最年長のワタシと2番目に年食った白髪の渋い後輩の二名)が泊まっている部屋は黄浦江とは反対の方向に窓が位置し、そこから見えるのはうらぶれた低層住宅の群れ、工事現場。とくに本日のようなしょぼ降る雨のなかではいっそうの哀れをさそう景色だ。試みに有言実行後輩1号2号の部屋にいってみると川は見えないものの立派に黄浦江側であり、遠く浦東の高層ビル群などもよく見え、夜のネオンはさぞやキレイであろう。1号の策略がこんなところにも・・、とあらぬ疑いを抱くワタシであった。
 お定まりのバイキング朝食を終え、われわれはまずバンド見物に出ることにした。ワタシが「バンド」と口にすると他の三人は不思議そうな顔をつくる。「地球の歩き方」当該頁を示せば、「な~んだ、“がいなん”のことか」「“ワイタン”って読むんですよね」ときた。コレだから若造のおノボリさんは! ワタシなどはバラード『人生の奇跡』から奥泉光の『「吾輩は猫である」殺人事件』まで当時の上海を活写した本を何冊も読んでおるのであって、南京条約以降英米をはじめとする各国が上海のめぼしい土地を租界とし、特にこの川沿いのエリアをバンドと呼んだことは自明の理。ワタシにとって外難はあくまで「バンド」である。

Img_0617 それにしても寒い。上海は緯度的にはだいたい鹿児島と同等に位置しているがそんなことはまったく感じさせぬ。

Img_0618 雪まじりの雨。風が強くなってきた気がする。それにしてもこの豪奢な建物がずっとならんでいる光景にはやはり圧倒される。実はけっこうな二日酔いであったのが、冷たい風と目に鮮やかな景色がいつの間にやら気分をおちつけてくれた。

 さて地下鉄に乗り、川向こうの浦東側に渡る。まず目にとび込んできたのがコレ。
Img_0622 まあおなじみのTV塔なんだけど、こいつ、近くで見るとそのデザインの狂いっぷりが尋常でなく迫ってくる。二日酔いのおさまった余勢をかって、ワタシはくすくすくすくす笑いがとまらなくなってしまった。いいネ! 中国はやっぱこうでなきゃ! クレイジーだよネ!! どうもこのへんからワタシの脳内麻薬がピュピュッと出はじめオカシクなっていたようである。
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「世紀大道」を森ビル方面に歩いていってふりむいた光景。
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いいッ。狂ってる。このままいけ! 中国。

 その後森ビル(は通称。ただしくは「上海環球金融中心」)内にある鼎泰豐(ディンタイフォン)という点心の店に入り、上海在住Yクンが合流。これでワタシの「ひとまかせ上海ぶらり」度が上がったわけだ。本日は土曜日。Yクンはもちろんわれわれ旅行者、いやさ出張者たちもシゴトを忘れ、まずは青島ビールで乾杯!である。
 ところでこの鼎泰豐、どうも雰囲気に見憶えがある。 ・・・・ なんだ! 台北旅行のときツアーで「本店」に行ったあの「鼎泰豐」じゃん! アル中からジャンキーと化していたワタシのいばらんことか。ここも美味しいけどさぁ~、やっぱ鼎泰豐なら本場を経験すベきでしょ~。つくづく嫌なヤツである。

 昼飯のあとは、さあコレをやんなきゃ上海旅行がおさまんない。上海環球金融中心の100階部分空中散歩である。ちなみに通称森ビルの全景、こいつである。
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栓抜きみたいになってる穴の上の部分、床がガラスの素通しではるか下界が丸見えという趣向。う~む、愉しみですなあ。高速エレベーターでどんどん上を目指します。

Img_0629で、いきなりキタあッ。

Img_0630いいですねェ。
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Img_0632 ちなみに脳内麻薬ジャンキーであったせいか、ワタシはまったく平気でガラスの廊下をひょいひょい歩いておったのだが、ふだん飄々としている「白髪」が異常な恐怖をしめし、一歩たりともガラスのうえに足をふみ出せないでおるのは、まったく愉快なことじゃった。

(つづく)

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May 28, 2012

上海2012・ ・FRIDAY/④

本日の更新 : 針鼠活字/針鼠銀幕


Img_0599 まず変顔の店に連れてってやるといわれた。ヘンガオとはなんぞ。Wikipediaによると本来「川劇」と呼ばれる四川省の芸能があり、その演劇中の出し物で顔につけた面を瞬時に取り替える技、とある。ただしくは変臉(へんれん)いうが転じて「変面」となり定着したようだ。「変顔」では日本のアイドルがわざとブサイクになってみせるアレである。
 店に着き、おいしい紹興酒や豪勢な料理を堪能しつつ待つことしばし、ついにこの店の変面演者の登場だ。
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ものすごい歓声。かなりのスターと見た。
さてそのお手並みやいかに・・ おおッ何ンたる摩訶不思議。
とにかくコレが、
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あっちゅうまに、コウ
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なるんである。
 いったいどういうカラクリとなっておるのか、またもWikipediaから引かせてもらえば「「一子相伝」の「秘伝」とされる。中国では第1級国家秘密として守られている」とのことである。

Img_0594 とにかくもやんやの拍手喝采、大声援のなか幕と相成った。
White       上海に日本人が来ると「カラオケ」という場所で接待をするのが慣わしとなっているらしい。二次会はカラオケへ、との声があがったがなんの! カラオケなんぞニッポンでいき飽きている。遥か上海の地で「兄弟船」を唄わせる気か! といささか酩酊のワタシが主張すると周囲しばし困惑の挙句、静かなるバーを探してきてくれた。
 おう、いかす店じゃないの、そうそうこの感じ、オトナの酒たるものこうこなくっちゃいけないね。と、いい調子でロックのグラスを干すワタシの酒にかすんだ目に、魅惑的な男子の姿がうつった。なんともかわいい奴っちゃ。キミ、誰かに似てるね。そう! 杉作J太郎!! 彼、チャーミングだよねぇ~。
と、気づけばこんな行為に及んでいた。
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おそるべしワタシのBL力。国境を越えてそのスキルを惜しみなく発揮させるのである!

 こうして上海の旅はその第一日を愉快なる雰囲気のなかに閉じたのである。

* 翌日この写真をしらふで見た際、さすがのワタシも酸っぱいものが
 胸にこみ上げてくるのを抑え切れなかったという。

(つづく)

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May 06, 2012

上海2012・ ・FRIDAY/③

本日の更新 : 針鼠活字/針鼠銀幕


Img_0701_2 我々がチェックインしたルネッサンス上海豫園ホテル(「地球の歩き方」表記)は豪著な宿であった。実際「地球の歩き方」にも「5つ星」とある。成田との往復の上こんな分不相応なトコに二泊してしめて5万を超えないとは、いくらシーズンオフとはいえ安すぎる(二日目には「マッサージ」のオプションも付いているのだ)。手配してくれた有言実行後輩1号クン、いったいどんな手を使ったのか。
 けれどワタシは何も気にしない。前回書いたとおりこの旅はすべてひと任せ、ボーっとしてるうちにホテルそばの銀行での換金も済ませ、豫園に入る。こーゆー「庭園」という見世物は世界各地けっこうある。で、たいがい飽きる。最初はそれなりの奇観に「おおッ」ともなるが似たようなものが延々つづくのが常で「モーわかった」「早く出たい」という気にさせられる。我々もご他聞に漏れず京都・奈良修学旅行時の寺社見学中の中学生みたいになって、こんな
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写真を撮るなどしてはしゃぎだす始末。
Img_0579 実際豫園そのものよりもそれを取り囲むように拡がる「豫園商城」ほうがずっと面白い。ここはつまりマーケットで飲食店や土産物屋が立ち並び騒々しいことこの上ない。偽ブランドの時計売屋がどうしてこっちの国籍が判るのか不思議なのだが下手な日本語で話しかけてくる。「No Japanese!」と怒鳴ってみたら黙りこんだので以後この方法を押し通すことにする。
 名物の小籠包を食っているときハッとわれに返った。このようにげらげらとハシャギ廻っていてはいけない。我々はシゴトで上海に来たのだ。とゆーことであわてて人民広場近くのオフィスを目指す。そこで矢継ぎ早にシゴトをこなして総経理(中国企業で言うとこの社長)との挨拶も交わし、
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(ニッポンではセクションが違うとはいえワタシのただの後輩がここ上海で豪華な社長室を与えられている。どいうことなのだいったい・・)などという不満は一切見せず、よく働いたご褒美ということで夜の上海に繰り出したのだった。

(つづく)

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March 20, 2012

上海2012・ ・FRIDAY/②

本日の更新 : 新規コンテンツ → 針鼠活字 外文アーカイヴズ


Img_0578  今回の旅の変わったトコは(あくまでワタシにとって、ということだが)その「ラクさ」にあった。メンツの一人に上海出張経験者がおり、さらに! 現地にはウチの系列の企業があってそこに後輩(かつ野球部メンバー)がいるのだ!! (今後頻出するであろう彼のことを仮にYくんとしておこう)
  したがって日々の行動は基本彼らにおまかせ、地下鉄やタクシーの乗り降り、食事場所の選定からオーダー、カネ勘定まですべてやってくれるので、こっちはただボーっと(あの建物、狂ってンなぁ)などと見物しておればいいのである。
  これは実に便利なようであるがちょっとした弊害も伴う。すなわち、自らいろんなことを調べなくなるのだ。ヨメとの海外旅行となると真逆で、原則何もしない彼女に代わりワタシは「地球の歩き方」を穴のあくほど見つめ、いま自分たちがどこにおり、行きたい場所はどの方向へどんな交通機関を使えばたどり着けるのか、必死になって調べる。これすなわちお勉強にも繋がるわけだ。
  この旅行では、上海という街の「概要」とでもいうか、具体的には「通りのありよう」がいつまでもつかめなかった。俯瞰した絵のなかの何処に自分がいるのか判らなかった。ぼんやりとイメージできるようになったのは最終日の午後くらいだ。

 さて、えらく前置きがながくなってしまった。いよいよ上海の街に繰り出しましょう、次回から。

(つづく)

* 前回は中国本土で使われているいわゆる「簡体字」(ホントの
 簡体字で書くと「简体字」)をなるべく用いて書いたが、メンド
 クサすぎる! (香港篇で統一した正字のほうがまだマシ(こっ
 ちもメンドクサかったけど)。) というワケで次回からは我が
 ニッポンの漢字で書かせてもらいます。

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March 03, 2012

上海2012・ ・FRIDAY/①

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 世界中のマンガにおいてBEST of BESTとワタシの決めている大友克洋の『気分はもう戦争』(原作・矢作俊彦)より引用。最初のコマは川向う(黄浦江の支流 蘇州河(別名呉淞江))から外白渡橋舐めで上海中心部の夜景を俯瞰しているカット。おそらく「上海大厦Broadway Mansions Shanghai」からの眺めと思われる。ずっと昔『南京路に花吹雪』(森川久美)というマンガで同じ構図を目にしたような記憶が残っており、ということは有名な写真があってそのトレースかもしれない。ところでこの「外白渡橋」に自分があこがれていたのだ(なにせ大友克洋が「描く価値がある」と判断したワケだから。もっとも当時は橋の名など知る由もなかったが)と気づいたのは滞在三日目、最終日のそれも空港に向かう時間が迫ってからだった。当然見られずコレは悔いを残した。
 二コマ目、中央に「豫园商城」とあるのが見える。ここのすぐそばのホテル「上海豫园万丽酒店RENAISSANCE SHANGHAI YUYUAN HOTEL」が我々の宿泊先だ。
 「我々」というのはマラソン部、野球部(とサーフィン部)のうちから四人、2012年のとある金曜日、寒空の上海の地に立ったのである。

(つづく)

* まさか自分が、それも大友克洋のマンガを自炊することになる
 とは思わなかった。けれどこれは断じてそういう目的のためで
 はありません。「引用」でありましてピュアにリスペクトの気持
 から冒頭に挿れさせてもらいました。

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March 14, 2010

年越し香港2009-2010 ⑥

本日の更新 : 針鼠活字


Dscn0424 香港滞在も最後の日。部屋でゆっくりすごすことにする。
 朝食のバイキングもこれで食べおさめである。見渡すとあらためて多様な人種がひと所にいることに感心する。この地にきて間もなく気づいたのは「ディズニーランド(&シー)に似ている」ということだ。もちろんワタシは日本のしか知らないからそれと比して、ということだが。
① まず浦安のあそこの遊園地にはこのように外国人が多い
特に中国系と思しき方たちを多く見かける。白人ちらほら。ヒスパニック系じゃっかん、って感じか。もちろん比率はぜんぜんちがうけど、こうしたけっして広くないある領域のなかにいろんな肌の色のヒトがいてあたりまえにすごしてる、ってトコが似てるのだ。
② 各種「ライド」(乗り物)がいっぱいある
香港には「オクトパスカード」というものが売っていて、その足の数に引っかけて8種類(くらい多くの)交通機関に自由に乗降できるというプリペイド式のICカードだ。実際このような代物が便利に使われるくらい香港には乗り物が多い。エアポートエクスプレス、地下鉄MTR、ふつうのバス、二階建てバス、二階建てトラム、ピーク・トラム、フェリー etc etc ・・ ディズニーランドにもこうした移動機関がはりめぐらされているが、面白いのは香港のそれのなかにディズニーのアトラクション的「ライド」があることだ。今回乗れなかったけど、ピーク・トラムの下りは急斜面をけっこうなスピードで走るんでスリルを味わえるらしい。昨夜乗ったオープントップ・バスなんかはまさに「アトラクション」だ。街をふつうに行きかってる二階建てトラムからしてまったり系のライドの雰囲気を放っている。
③ メシが微妙
昨日分で触れた件だけど、こーゆートコも似てますね。
④ 英語がたくさん出てくる
英領だったからあたりまえなんだけど、たとえば地名。「銅鑼灣」にしても案内板には「Causeway Bay」みたいに必ず英語名が記されてる。初日に見た「シンフォニー・オブ・ライツ」なんて、ディズニーのアトラクション名にあってもおかしくないではないか。
⑤ ヴィクトリア湾の存在
これもさんざん言及したが、我々の宿が香港島にあったため度々この湾を渡ることになった。フェリーや、海底トンネルをクルマやMTRをつかって九龍側と行き来した。視界には常にこの湾があり、昼は横切っていく船を楽しみ、夜は対岸のビル郡が放つネオンを映す海面に見入った。これまたディズニー・シーを彷彿させる光景だ。

Dscn0467_2 というわけで、いささかコジツケもあったが香港をディズニーランドに例えてみた。で、唯一ディズニーっぽくなかったのはネイザン・ロードを闊歩する香港人たちの放つ、ワタシを疲労困憊させるほどのエネルギーである。
 帰りの香港(チェクラップコク)国際空港。ハブ機能では日本の空港など足元にも及ぶまい。中国の経済が活況を呈するなか、むかしから中国と海外の玄関口となっている香港はさらに元気なのだろうと思う。本土の人々(の一部)が裕福となって香港に観光旅行をしに訪れる機会が増えているようだ。香港の人たちはそんな中国人をどこかシニカルに見つめている気がする。香港人にとって中国本土は「金づる」なのだ。金儲けのために利用する相手に過ぎない。否定的な意味ではない。香港人のバイタリティをあらわす「事象」の一端なのだ。

 香港という独特の地域が出来あがったのは、中国(正確には当時の清国)人の「弱腰外交」にあった。
 阿片戦争が英国の香港搾取のきっかけとなったが、そもそも阿片戦争はなぜ起こったか? それはイギリスにおける「ティータイム」の流行だというのだ。お茶の葉や飲むための陶器等が中国から英国に大量に入るようになった。そのため英国から見て対清国の輸入超過に陥り、英国は対抗措置として清国に阿片の密輸をはじめた。これを断固退けようとしたのが林則徐という人なのだが、イギリス艦隊が天津沖にあらわれたことに恐れをなした清国は林則徐を更迭してしまう。その後南京条約が結ばれ、香港は割譲された。
 このときの香港人の本土への「恨み」のDNAが、いまだ面々と彼らの血に受け継がれているのでは、というのは邪推だろうか? しかし一方で、英国に占領されたという歴史を持つからこそいまの香港の魅力が備わったともいえる。
 「ザ・ペニンシュラ香港」で、阿片戦争の契機となったアフタヌーンティーを飲むために列をなしてまで待つ。この矛盾こそが香港だ。

Dscn0478 右は成田からのリムジンバスから見えた六本木ヒルズです。正月二日だからさすがに窓の明かりが消えてるビルが多かった。
 と、いうわけで年越し香港、行くまえ思ってた以上に面白かったッス。

(おしまい)

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