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January 15, 2011

発表! 2010マンガベスト5 + 1

本日の更新 : 針鼠活字/針鼠銀幕


 おお、今年はそれなりにふさわしい時期に発表できる。
 では。

 ① ワイルドマウンテン (本秀康)
 ② 海街diary (吉田秋生)
 ③ キーチVS (新井英樹)
 ④ どうしても嫌いな人~すーちゃんの決心 (益田ミリ)
 ⑤ おはようひで次くん! (小田ひで次)
 次 斬り介とジョニー四百九十九人斬り (榎本俊二)

① : この完結は事件だ。一種の「夢オチ」だがそう単純なもんじゃ
   ない。8巻もかけた壮大な複線がすべて回収されてるストー
   リー上のすごさもさることながら、悪意・毒とかメカのかっこよ
   さ、叙情性、それに音楽等など本秀康のすべてが詰め込まれ
   てる。「ハガレゴッド」のさびしさに胸打たれる。
② : クレバーな作品だと思う。あらかじめすべての設定をディテー
   ルまで決めてから話作りに取り組んだんじゃないかと思うくら
   い、そこかしこで出てくる固有名詞が破綻なくどこかで必ず繋
   がってる。登場人物たちが皆「判ってる」(つもり)なのがちょっ
   とハナにつくけど、感情を喚起させる力が上廻ってる。
③ : ここに来ての急展開。ヤバイ方向に転がりだした。
④ : 益田ミリの「悪意」全開か。
⑤ : 「エッセイマンガ」というものの「薄さ」を自覚してる(元)芸術マ
   ンガ家のエッセイマンガ。それだけに一筋縄でいかない。承知
   の上でやっていながら凡百のエッセイマンガにしたくはない、
   かといって妙な芸術性を出すのもちがう、という板ばさみのなか
   から生まれた作品。
次 : よくぞこのようなマンガが出版されたものである。実はこの作品
   は榎本俊二の総決算なのではとにらんでいる。初期のシュール
   さ、途中あった幾何学的な動きを執拗に追求したもの、後のエ
   ログロ、一廻りしたシュール。全部あるのである。このストーリー
   のないマンガに。

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January 03, 2011

『ノルウェイの森』はドストエフスキー『白痴』のパクリ?

本日の更新 : 針鼠活字/針鼠銀幕


(『ノルウェイの森』『白痴』及び江川卓『謎とき「白痴」』のネタバレが含まれます)

 ま、タイミングが良かった(悪かった?)のかもしれません、『白痴』を読んだ後に映画化もなったことだし(見てないけど)、ということで『ノルウェイ森』を再読してみたのです。そしたらどちらも「三角関係」の話だな、と思ったわけです。ひとりの男がふたりの女を同時に愛するストーリーだと。するとあれもこれもと共通点にどんどん気づいてきて、これはパクリ--というのは完全に冗談。小説を書く上であってしかるべき方法、換骨奪胎、インスパイアされた--なんでもいいですがあらゆる小説(だけではありませんが)は先行する小説がなければ書けない、のでありまして『ノルウェイの森』においては『白痴』がそのひとつ(もちろん他の小説が混ざってる可能性もある)なのではないかと。ちなみに『ノルウェイの森』、大好きな本です。 で、この戯文のオチは書いてみる価値がちょっとあるかなと思って急ぎメモ風にキーボードをたたいています。
 主要な人物を対照させるとこうなります。
  ムイシュキン公爵 : ワタナベ
  ナスターシャ : 直子
  アグラーヤ : 緑
 で、扱いの難しいのがロゴージンなのですがこれは「死ななかったキズキ」だと解釈しています。あるいはキズキと永沢に分裂したか。『白痴』は実際には「四角関係」だったのですが、『ノルウェイの森』にも死んでしまったキズキの影がずっとつきまとうので、「不在の在」キズキを入れ「四角関係」であるともいえます。
 まずハッキリしているのはナスターシャを、周囲もムイシュキンでさえもが「気狂い」だと断じていることです。これは無論直子の精神的な病に通じます。直子がすごす山あいの施設は、『白痴』においては「モスクワ」をさすのではないかと思います。ここでの描写はあまり量をさいてなされていませんが、どうやらナスターシャはムイシュキンと居をともにし、時にロゴージンに会ったりしていたようです。最後はムイシュキンの元を離れ、ロゴージンと暮らしはじめた様子。これらは、施設における直子の思考の流れを、人物・行動に具現化したかのようです。
 「場所」の話でつなげると、ムイシュキンがいたスイスはワタナベの故郷神戸、ペテルブルグがもちろん「東京」ということになります。
 どちらの小説も「死」「自死」の物語であるということも明確です。象徴的なのがイッポリートですが彼は大勢の前で自殺を図り(演技かどうかははっきりしない)、ついには病で死にます。ナスターシャ≒直子も死にます。他殺と自殺の違いはありますが、ナスターシャのそれは「殺される方向に自らむかった」すなわち自死であるとも受けとめられます。
 さて、決定打となったのは江川卓先生の『謎とき「白痴」』を読んだことでした。ここでの先生の解釈は、なぜ自分もそこに思い至らなかったと目からウロコの落ちる思いのするものでした。すなわち、ロゴージン、及びムイシュキンは「不能」なのではないか、ということです。ムイシュキンはしょっぱなから「生れつきの病気で、まったく女というものさえ知らないんですから」と告白しています。モスクワでの生活でも、ナスターシャと「そう」なったようには見えない。一方ワタナベは永沢の誘導もあって前半ヤリまくるけど、施設での「告白」以来性交渉をもとうとしない、というかできなくなっています。ある種の不能状態。ロゴージンのほうは、これも一時的なものなのか、不能に陥っていてナスターシャとセックスすることができない。二人は暇つぶしのためにトランプをしたりする! ということが『謎とき「白痴」』を読むとすっと納得させられます。これはもちろん生きていた頃のキズキと直子が幼なじみであり、愛しあっていたにもかかわらずどうしても「それ」ができなかったことに対照されます。こちらは直子が「濡れなかった」からというのが理由のようにも語られますが、両作の場合「結ばれない」こと自体が重要なように思えます。
 ラスト、ナスターシャ≒直子は先述のように他殺≒自死を遂げます。ロゴージンは殺人の罪でシベリア送りとなり消えていき、これはキズキの死に沿います。アグラーヤが、不幸な出奔を行うとなると、作品に直接描かれてはいないけど緑のゆくすえも幸せなものではないことが推し量れます。
 さて、ワタナベです。『ノルウェイの森』の最後、緑に電話すると「あなた、今どこにいるの?」と聞かれ「僕は今どこにいるのだ?」と自問します。自分の居場所が解らなくなってしまっている。これは、持病の癲癇が再発したムイシュキン公爵の状態とそっくりなのではないでしょうか。ムイシュキン公爵とはキリストの比喩です。そのような人物を当時のロシア社会に放り込んでみたら、周囲にはどのような化学反応が発生するか。それが『白痴』の主題のひとつです。ワタナベという人物は一見狂言廻し的な「語り部」の役をになわされているようにも感じられますが、注意して読むと、周囲から浮きまくっている「変人」です。でもそれは「周囲」が「変」なのかも知れない。変な環境にまともなヒトがいるとその人は周りから「変」とみなされる。これこそが『ノルウェイの森』の主題なのではないでしょうか。

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