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『土曜日』 イアン・マキューアン 小山太一訳

たましい [2008/08/15]

 この感想文を書こうとして一と月まえに読み終えていた本書をパラパラやると、いま見たばかりの『イカとクジラ』という映画(DVD)にそっくりなのに驚いてしまう。類似点を挙げればきりがないが、ひとつ、映画で、長男が高校のコンテスト(?)で「オリジナル」と称してうたうのが、ピンク・フロイドの『Hey You』であり、『土曜日』で娘が朗読して犯罪者の心がわりをさせるのが、詩人である彼女の自作ではなく暗証していたマシュー・アーノルドという実在の人物のものであること。どちらも、ことに『土曜日』において、重要な転換点のシーンであり、ゆえにこの類似は偶然にしてはできすぎてる、などと考えつつ、いやおちつけと自分に言い聞かせている。たまたまタイミングがあったものだから、この発見に興奮しているが、「よくある話」であるならば、偶然に過ぎない。『イカとクジラ』の監督ノア・バームバックの「周辺」の映画、たとえば『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』『リトル・ミス・サンシャイン』といった作品にも、本書との共通点を見て同じような感想を抱いたかもしれない。
 そう、『土曜日』は「よくある話」なのだ。イアン・マキューアンは「方法の作家」といえる。ストーリーは、軽視はされないがより方法に重きをおく。なにを語るかよりもどう語るか。
 本書は、三人称を用いられているが、ほぼ主人公ヘンリー・ペロウンの視点から語られる。多元描写をせずに1日という限られた時間が綴られるがために、主人公の内証がつづくことになるが、彼がインテリであるという設定とあいまって、知的な文章が読むのに心地いい。そして徹底したリアリズム。過去に実在した1日を下敷きとしていることもその一要素であるし、なにより、どのような伏線にもあまりに「現実的」な、つまり劇的でないオチが用意されている。娘の推薦する小説をいくつか読み、ペロウンはこう考える。

 いったい、そうした有名な作家たち――二十世紀に生きる、
 いい歳をした大人たち――は、何を考えて、登場人物に超
 自然的な力を与えたりしているのか?

 『土曜日』はこのペロウンの独白をそのまま小説の形にした、かのようにみえる。未明、彼が空に見る炎をあげながら高度を下げていく飛行機は、後に貨物便であり旅客機ではないことが判明する。乗員は無事で、しかもイラク反戦デモのあるこの日、それはテロ目的でもなく、純粋な事故だ。あまりに印象的な冒頭のエピソードにたいし、この結末。けれど現実とはすべてこのようなものだろう。たとえば、たしかに見たあの飛行機事故が、その後なんらの報道もされず、まるで起こっていないかのような、自分だけが目撃した現象である、といった「リアリズムを排除」した小説にありがちな展開は、この作品にはもとめようもない。その連続が、読む者の「期待」を逆方向に裏切っていき、むしろそれが快感へと繋がってゆく。
 しかし、この徹底ぶりにも周到に用意されたある「破綻」が待っている。娘が、詩を朗読することで、家に押し入ってきた暴漢の動機をなし崩しにする部分だ。実に微妙な判断だ。ある、といえばありそうな話だが、こと文学が絡んでいるシーンだ。ペロウンの内面を敷衍して描かれているのであれば、幻想的な小説とならんで彼が信用を置いていない「詩」がそうした物理的な力を持つということ、はまさに「超自然的」ではなかろうか。
 このことでヘンリー・ペロウンが、そして『土曜日』が、すぐさまリアリズム排除の思考へと傾くことはない。それはまさに微妙なエピソードであり、けれど悩みはじめる、読者を悩ませはじめる喚起となる。この世は物理だ。すべて説明可能な現象のみがある。しかし、そのありもしない「超常」を追いもとめること、その一点にのみ生きることと文学の意味がある。

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