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『人民に奉仕する』 閻連科 谷川毅訳

悪訳と文革 [2008/03/30]

 まず思ったのは、この翻訳は、もしかしたら下手なのではないか、ということだ。なにか文章がギクシャクしている、それも原文の効果ではなく、訳がこなれていないためのもの、そんな印象を受けつつ読みすすめていると、このような部分に出くわした。

  彼は言った。「ケダモノでもなんでもいいよ」
  彼女は言った。「どこでこんなやり方を覚えてきたの?」
  彼はたずねた。「やり方って?」
  彼女は言った。「さっきのあれよ」
  彼は言った。「なんか恨み辛みで胸が一杯になって、それを
 晴らそうとしたらああなったんだ」
  彼女はたずねた。「誰を恨んでるの?」
  彼は言った。「わからない」

 以下、数十行に及び「彼は言った」「彼女は言った」形式が続く。その道のプロでもないのに安易な決めつけはひかえるべきかもしれないが、これはないんじゃないだろうか。一般に日本語は適当に主語を排して意味の通じる言語であり、それが文章のリズムを導きだしもする。中国語は(おそらく)主語を必須とし、それをそのまま訳せば上のような文章になってしまう。訳文として読みやすく、面白くしていこうという努力をまったく放棄した態度ではないか。あらためて見返すとこの前後にも同じような文章が頻出している。これでは脚本の台詞である。
 小説としては(訳文の拙さを差し引いたとして)普通に面白かった。以下、ネタバレとなるが、「人民に奉仕する」→「高級官僚婦人と寝る」というように、本書のキモはご大層と思えるものが実は単純だったという置き換えにある。主人公が高級官僚の家に送り込まれるのは、けっきょく「種馬」としての役割を期待されたからであり、また、毛沢東の肖像画などを破壊するのは性欲を向上させる手段にすぎない。
 恣意的な方法なのかはわからないが、小説内でその小説自体に言及するメタっぽい記述も面白い。特に第六章の冒頭、

  ここに至り、物語は期待を裏切られる喜びを失ってしまった。
  (略)すべての読者の予想の範囲内に収まってしまった。

 と、あり、これは主人公が高級官僚婦人と寝ることが決定的になったシーンのあとのことで、つまり「読んでる人も予想したでしょうけどこのとおり、やっぱりベタな展開になっちゃいました」と言ってるも同義だ。ここは声を出して笑ってしまった。
 それにしても背景たる文革時代のことを自分がよく知らないあまり、差し迫ってくるものが薄いのだろうな、とは予想がつく。実は当初、この本が課題になったと知ったとき、ノン・フィクションかと思っていた。現在のチベット僧侶弾圧に至る契機となった文革というものの実態を暴き、「人民に奉仕する」というスローガンのもと、実際の「奉仕」がいかに過酷なものであったか、そんなことを描いているのかと勘違いしていた。読了したいま、自分が誤解していたようなものを(それも良い翻訳で)、読みたかったなと、すこし思った。

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