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『ブロークバック・マウンテン』 アニー・プルー 米塚真治訳

活字のにおい [2008/02/15]

 映画を先に見たので、どうしてもこの本を読みながら映像と比較してしまう。私はアン・リーの撮った『ブロークバック・マウンテン』がとても好きだ。あのフィルムを覆う静謐なアトモスフィアーが心地よかった。ホモ・セクシャルという、描き方をひとつ間違えれば生臭くなりがちな題材を扱いながらも、どこまでも澄みきっている映画だった。そして冷静であった。
 本作に私は映画と同質の快感を期待したかも知れない。冒頭のゴシック文字で書かれた現在のシーンが、アン・リー作品に似た印象を喚起させるので、その思いはつのった。けれども、あたりまえのことだが小説と映画はやはり異なる。原作とはいえそれぞれはまったくちがう表現物である、というアタマでは承知していた大前提条件を、今回はフィジカル面の私が忘却していたようだ。
 願わくば映像の記憶をすっかり消去し、この小説に接したかったと思う。しかしそのような状態で読んでしまった事実は消えぬ。ここはひとつ、映画と小説の何がどう異なっていたのか、ということを考えてみたい。
 本作は冷静ではない、というのがもっともおおきな相違点といえる。これはもちろん小説を書く方法としての冷静さが足りないということではなく、文章から立ちのぼってくるアトモスフィアーを指す。この本を読むときに、映画で得た冷静さ由来の快感を望んでしまい、それがなかったがゆえ充分に愉しむことができなかったといえよう。ではなぜ小説『ブロークバック・マウンテン』は、冷静という快感喚起のいち手段を採用しなかったのか。読みかえしてみて思うのは、それは「におい」を優先したからではないかということだ。ふたりが再会したとき、イニスはジャックの身体から「タバコと麝香のような汗の臭い」をかぐ。後年、ジャックの実家を訪ねたイニスはブロークバック・マウンテンにふたりでいた頃に着ていたシャツを発見しそれに「タバコの匂いとマウンテンセージの匂いと、ジャックのかぐわしい汗の匂い」を期待する。
 「におい」は冷静さをあらわすのにはふさわしくないものだ。そこから喚起されるのは、激しい、または、さざ波のように大きく拡がっていくエモーションだろう。映像と音から成る映画は、面白いことに「におい」の表現を苦手とする。比して活字はすぐれた描写によって、そこに「におい」を立ちのぼらせることができる。小説『ブロークバック・マウンテン』は随所で「におい」をアトモスフィアーの要素に加え、快感喚起させている。映画にひっぱられるあまり、それを充分に愉しむことができなかったのを、私はひたすら悔やみ、おのれを責めるのである。

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