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『虹の谷のアン』 モンゴメリ 村岡花子訳

虹の谷のナウシカ VS ハーメルンの笛吹きカイゼル [2008/9/30]

 カタカナの名前がいっぱい出てとても読みにくく、途中ネットで「主な登場人物」をさがしだして頁のあいだに挿んでおき、これを見ながらやっと読むスピードがUPした。本書自体に「登場人物」が載っていないのはたいへんな誤りだと思う。
 「メソジスト」と「長老派」が出てくる。『知って役立つキリスト教大研究』(八木谷涼子著)を引くとメソジストとはmethod-ist、「方法主義者」とでもいうか、こうやって元のコトバをばらばらにすると解りやすい。長老派は「とにかく説教が長い。説教の内容は概して知的に洗練されていて、」とあってなるほど、メレディス牧師が説教に呻吟するのも、村の人たちがその「出来」をしきりに云々するのも呑みこめる。この二派がなぜ仲が悪いのかは『知って役立つ・・』をざっと読んでも判らなかったが、オヤとひっかかったのはアンの娘が言った「お母さんがおっしゃっていたけれど、聖書は比喩で語られているんですって」というところで、原理主義的なプロテスタントがこの発言はまずいんじゃないか、と思うのと同時にアンが鷹揚な信者で、メソジストと長老派の対立もくだらないものと思っていることが読みとれる。
 面白かった。だいじなところで女の子が活躍するのが痛快だ。牧師の娘フェイスは父の給料確保を目的に村の有力者の家にねじ込みにゆく。いまひとりの娘ユナは、これも父のために父の愛する女性の元へ行き、父との結婚を請う。概して男はダメで、特にこのメレディス牧師は常に形而上的なことにアタマを占拠されており、妻の死のショックもあるのだろうが「生活」方面にまったく斟酌できない。娘たちがいなかったらいったいどうなっていたことか。説教以外にはまったく役立たずなその様は、それゆえにキャラ立ちがかえって際立つほどだ。
 女の子たちがあまりにけなげであるのと、タイトルからの連想で、どうしても『風の谷のナウシカ』が出てきてしまう。宮崎駿はアニメ版『赤毛のアン』のレイアウトを担当していた。これは男の子だけどメレディス家の末っ子カールは虫の類が大好きで、いつもポケットや寝床にしのばせてる。こんなところもナウシカへの影を感じとってしまう。さっき「ユナ」とキーを打ったら「湯女」と変換された。これなど『千と千尋の神隠し』に通じるのではないか、というのは考えすぎだと思うが。ともあれ『虹の谷のアン』の、ひとつの断面は、村のナウシカたちが活躍する物語、といっていい。
 さて、もうひとつの断面、それは男たちのダメさである。彼らは「戦争」にとりつかれている。アンの長男ジェムからして「僕は兵士になりたいんだ――勝ちほこった将軍になりたいんだ。大きな戦を見たくてたまらないんだよ」などと言っている。これは十代前半の男の子の「戦争ごっこ好き」な側面をあらわしているのだろうけれど、ことこの本に限っては、それだけではおさまらない不気味な背景を感じさせる。
 ダメな男代表牧師メレディスは、後に愛することになる女性の姉と「ドイツのカイゼル」について議論をする。議論の決着は詳しくは描かれていないが、カイゼルを批判する姉と論争の状態になることから、メレディスが戦争に対して甘い展望しかもち得ていないのが推測される。宗教家である彼からしてこのザマだ。
 アンの二番目の息子ウォルター。彼が「ハーメルンの笛吹き男」の話をもち出す。やがてこの村にも笛吹き男があらわれて、自分たちを連れていくだろう。ウォルター自身は行きたくないのだが、どうしても連れていかれてしまう。それに応えて妹のひとりが皆で行こうと提案する。だが彼はこう返事をする。「君たちは僕らがかえるのを待っているんだ。だけど僕らはかえらないかもしれない――」ウォルターは詩人であり、こうした発言は彼の詩的夢想ととらえることもできる。しかしラスト近くの彼の次のような物言い、「征服者が戦場から、馬にのってかえってくるところなんだ――それで、彼に敬意を表して、旗をかかげてあるんだ」には、ウォルターまでもが戦争にとりつかれている様があからさまにあらわれている。そして再び「笛吹き男」の話をする。「僕が、いつかの夕方見た時より、もっと近くにきている。(略)彼は笛を吹く――笛を吹く(略)聞きなさい――あの不思議な音楽が聞こえないの?」
 きたるべき第一次世界大戦の、彼らは犠牲者になるのだろうか。けれど自分を死なせるかもしれないその戦争に、彼らは魅了されている。ハーメルンの吹く笛の音色にふらふらとついていってしまうように。ラスト二行のジェムの台詞など、ゾッと背が粟立つ思いだ。『虹の谷のアン』は実に不穏な空気をはらんで閉じる、アン・ハッピーエンドの物語なのだ。
 宮崎駿は反戦論者だが、一方でその戦争によって生み出された武器――戦闘機や戦車――を好むことも隠してはいない。この自己矛盾が彼のなかでどう折り合いをつけられているのか、判らないが、そこで「ダメな男」である自分を救うのがナウシカをはじめとするヒロインたちであることはまちがいない。戦争に魅せられたダメ男たちに対抗し得るのはフェイスやユナ、「笛吹きなんか大嫌いだ」と言うメアリーみたいな、けなげで力強い女の子たちだ。
 そして――宗教家メレディスでさえ戦争に対しあいまいな態度をとらざるをえないところを見れば、立派な説教や「方法」などといった「派」に分かれてしまう宗教なども無力であろう。メソジストや長老派など、もういい。アンのもつ鷹揚な信心、それはプロテスタントもキリスト教も越えて拡く「神を信じるココロ」の持つ力――それは本書のラストを考えれば一度は失敗するのだがそれでも、これが唯一ハーメルンの笛の音をかき消すことのできる力であると、そう感じさせる。

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