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『大奥』

ノヴェライズの役割 [2003/11/15]

 小説の『ハリー・ポッター』シリーズや『ロード・オブ・ザ・リング』が映画化されるとなると大騒ぎだ。「ついに!」みたいな感じでうけとめられる。逆はどうか。たとえばオリジナル脚本(だよね?)の『マトリックス』。あの映画が小説になったら、「ついに!」とむかえられるか? 答えはむろんNOだ。マトリックスブームにのっかって小説で小銭稼ぎか、と解釈されるのが関の山である。この現象を真正面から見てしまえば、小説より映画のほうが偉いということになる。小説→映画は事件だけど、映画→小説は、あまり声を大にすることじゃない。何故なんだ? それは映画→小説、すなわち「ノヴェライズ」というものの立ち位置に原因がある。ひとつ思い浮かんだのは、映画館の入場料は本を買うより高いということ、それと地方によってはロードショウがやって来ない地域もある、ということだ。これらお金のない人や、見たくても物理的理由で映画が見られない人(もしくは両方の事由を背負っている人で)が、やむにやまれずいわば「疑似体験」としてノヴェライズを読んでいる。そんな「副次的」存在であるがためにノヴェライズは映画よりも下賎な地位に甘んじているのではないか。
 けれどふと思い立って今『ハリー・ポッターと賢者の石』の価格を見ると1、900円とある。映画より高いじゃないか。それなのに人は何故映画だけではなく小説も読んで、なんとかローリングとかいう女をつけあがらせておくのか。ま、ハリーポッターはノヴェライズじゃないからここら辺の理屈には無理があるのだがこの豊かな時代、映画が見られないから小説でなんていう人はいないに決まってる。判ってて言いましたすみません。
 つまり言いたいのはノヴェライズって何ンなの? ってことだ。その役割とは? この『大奥』を買い求めるのはどんな人なのだ。当読書会のメンツだけなんじゃないか?
 今回は映画じゃなくてドラマ→小説だけど、やっぱり「ついに!」という感じではない、もちろんだけど。こんなとき→小説に価値が出るとすれば、それは思い切ってドラマ→側を裏切った→小説ができあがることだ。そうなのだ。この「豊かな時代」では疑似体験としての小説なぞ望む人はいない。あるとすれば心地よく「原作」とは異なっていく意外性だろう。しかるに『大奥』はどうか。ドラマを見ていないが、このノヴェライズはシナリオをなぞっているだけだというのが簡単にわかる。リズムが小説のものではない、性急すぎる。作者に気概はないのか。菅野美穂が途中で消えちゃうのまでシナリオのままじゃないか。ちっとは考えろ。

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