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『ナイン・ストーリーズ』 J・D・サリンジャー 野崎孝訳

解釈しない快感 [2003/09/30]

 いまは没交渉になっちゃったけど、8ミリ(フィルム)で映画を撮ってる人とちょくちょく会う時期があった。あるとき、彼が高校時代につくったという作品を見た。暗くした部屋の白壁に、波間に浮かぶ何粒かのグリーンピースが映ってた。彼は横から、このグリーンピースが何を意味するかを解説してくれた。その「意味」はもう忘れてしまったけど、そのとき感じた違和感は今でもありありと思い起こせる。カントクが教えてくれなければその意味が解らない映画なんて、それこそ意味があるんだろうか。
 ネットを眺めてると、「この映画のここが解らない」っていうような掲示板をみつけることがある。たしかに映画というのは、時々見ていて戸惑うシーンが出てくる。だからこういう掲示板ができるのも分かるんだけど、よく見かけるのが「何が言いたいのか解らない」という言葉だ。「解らない」シーン(もしくはカット)ができるのにはたぶん二つ理由があって、作り手がホントに下手で、「言いたいこと」、つまりメッセージとかテーマとかいわれるものだろうけど、それが伝わるような映画作りができてないっていうことがひとつ。もうひとつは、作者が「べつに言いたいことなんてない」と思ってる場合だ。ホラこのカットきれいだろ? きれいだなあと思ってくれりゃいいんだよ、ってワケだ。
 没交渉の映画カントクのフィルムに映っていた波間のグリーンピースのシーンは、とてもきれいなものとは感じられなかった。たぶんそれは、彼の「メッセージ」を伝えるための道具だったんだ。けっきょく伝わんなかったんだけど。これが、本当に美しいカットであれば、カントクの解説なんかカンケーなく感動したろう。「言いたいこと」なんていらない。そこに見えてる(聴こえてる)ものが心地よければ、それでいいんだ。
 どうしてみんな「意味」が解んないと安心できないのかなあ。「意味」なんてないかもしれないのに。解釈しないで、ただそこにある快感に身を浸せばいいんだ。

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